はっきり分類もされず、ゆえに理解もされず、上手く認めてもらえない。
だから生き苦しい・生き辛い。
世の中の普通という仲間にも入れてもらえそうにない。
そして傷つき悩み諦める。
そんな「中途半端な苦しみ」としか言い表せれない場所にいる人たちが笑顔になれる居場所を作りたい。

これが行政書士としての開業、そして一個人としての起業への思いです。

❶生きてるだけで褒められていい

どうしてそんなに0にしたがるのでしょう?
何かになって、何かであって、何かでいないと認められないのはなぜ?
それは誰が決めたルールなんですか?
普通って、常識って、当たり前って、他人の勝手なわがままと同じです。
ただ多数ってだけなのに。
どうして縛られないといけないの?

生きてるって凄いですよね?
それは当たり前ではなくその人の命の存在・時間そのものです。
0ではなく1でしょう?
なぜそれだけでは誰も認めない?
だから嘆き苦しみ、そして生きることを捨てようとするほど傷付く人も居る。

バカみたいに他人のモノサシで命を奪わないで欲しい。

今の社会には「普通」かもしれないけど「まとも」ではない人がたくさんいるように思う。

❷世の中は教えてくれないことで回ってる

法律ってあまり学校では教えてくれませんね。
税金のことも同じ、保険も、ひっくるめてお金のこと全て。
やっぱり専門の道を歩かないと教えてはくれないもの。

他にもたくさんありますよ。

誰が子供の作り方を教えてくれますか?
誰が社会に出てからの常識を教えてくれますか?
誰がどんな仕事にでも通用する能力を教えてくれますか?
誰がホントに身につく勉強法をおしえてくれるのでしょう?

誰も教えませんよ。
だって教えたら追い越されてしまうじゃないですか。
マウント取れないじゃないですか。
だから誰も教えない。

でもそんなことで世界は動いていたりする。
歴史は続いてたりする。

❸真面目にコツコツ努力してきた人が報われないとダメでしょう!

どうして昔はやんちゃして今は更生した人が評価されるの?
ずっと真面目にしてきた人の方が偉いでしょう。

どうして名のある人はちょっと慈善活動しただけで勲章もらえるの?
本当に授章すべきは何十年もその活動を地道に続けている名も無き人でしょう。

この違和感ずっと感じてました。
中身があるよりパフォーマンス上手が得するみたいです。
そんな人は別に悪くないです。
今の世に適合しているだけです。

でもなんだか悔しくないですか?

❹知らないと選べない

色んな自由が保障されてはいます。
職業選択の自由、表現の自由、言論の自由、たくさんあります。
どう生きるかだって選べる。
苦労するも楽するも自由です。

でもそもそも知らないものを選ぶことは出来ないわけです。
それを勉強不足、経験不足、そして自己責任という言葉だけで片付けてもいいのでしょうか?
一生懸命仕事をしているがゆえに他のことに回す気力がなかった。
育児や介護などに追われ勉強する暇もなかった。
そういうことだってありますよね。
そんな背景を抜きにして無知と責められるのはおかしいです。

けれど知らないばっかりに泣き寝入りをしてきたことはたくさんあるんです。
知らないからこそ気づけなかったというだけで、腑に落ちなかったことは皆さんたくさんありますよね?

知らないことは恥ではないです。
知ろうとしないことこそが恥ずかしい姿、そう思います。

勉強出来ない人の代わりに自分が勉強し話せばいい。
そうしてもっといろんな選択肢があることを知ってくれれば事業や生活の問題解決のきっかけになると信じています。

知らないことでどれだけ泣き寝入りをしてきたんだろう?
そんな事をふと思ってしまった。
そのバカさというか虚しさ悔しさ憤りを自分自身がとても痛感してしまったんです。
もっと出来ることはあったんじゃないか?って。
もっと言えることはあったんじゃないか?って。


誰もが笑顔でいられる場が少しでも広がるのなら、
人の目も心も、そして世の中も少しは寛容になるのでは?という淡い希望を現実に向けて試している最中です。